年男を迎えた私の抱負🤓

みなさん、こんにちは。院長です。ちょっと遅いのですが、今年の抱負を書きました。
ついで、年男の年齢でしたので、そのあたりも含めて振り返ってみました。

私は昭和48年生まれですので、今年4回目の年男を迎えることになりました。この世代は、団塊ジュニアとよばれる年間の出生数が200万人をこえ(比較:令和元年は86万人)、とにかく人が多い学年です。小学校は6クラス、中学校は10クラス、高校は12クラスもありました。しかも、1クラスに、45人位いたんじゃないかなって記憶してます。人口が多いので、スポーツや入試は競争が激しく、一方で社会に出る頃にはバブルは崩壊、就職氷河期に突入という世間の荒波がまっていました。そんな、世代の話です。

1985年12歳。はじめての年男です。この頃になるとドラえもん中心のコロコロコミックを卒業し、ドラゴンボールをはじめとした人気作品満載の少年ジャンプに心変わりしていました。170円だったでしょうか?。新潟は毎週火曜日発売でしたね。いまだに訳も無く、火曜日になると心が躍るのはどうもここに理由があるようです。また、ちょうど、ファミコンが各家庭に普及しはじめたのもこの頃でした。しかし、1本5,000円もするソフト、今と違ってソフトのレビューなんてないんですから、買う時はばくちです。そんな中、国民的ゲームであるスーパーマリオブラザーズが発売されたのもこの年です。おお、マリオが巨大化した、えぇー土管に入れる、、当時の驚き。最近のオンラインゲームで目の肥えたゲーマーには味わうことのできない感動が確かにありました。

1997年24歳。2回目の年男です。ちょうど、大学を卒業し新潟大学付属病院で研修医1年目を開始しました。当時は、一部の市中病院を除いてスーパーローテート研修なんてものはなく、内科ときめたら内科を研修するというわかりやすい構図です。聴診器を肩に、ポケベルを腰に、ペンライト、ボールペンを胸ポケットに装備しておりました。少年ジャンプやマガジンは同じく週刊誌であった医学雑誌のNew England journalやLancetにかわり、、、はしないんですね。モーニングやオリジナルといった青年誌に嗜好がかわったのでした。

2009年36歳。3回目の年男です。大学からの出張という形で県内の関連病院を2-3年周期で赴任しておりました。この頃は、医師になって12年なので、内科専門医や呼吸器専門医の修得のため書類準備をした時期です。途中くじけそうになりました。普段からきちんとやっておかないと、こういう作業はめんどうです。しかし、「最後まであきらめない 野球は9回裏2アウトから」を実践した文理高校の甲子園夏の決勝戦、あの試合があったのがこの年でした。すこし勇気をわけてもらって、なんとか専門医認定を得ることができました。いつのまにか課長島耕作は社長になっており、私は時の流れを実感しはじめます。

2021年48歳。4回目の年男です。出張先の新発田病院で6年間お世話になり、そのご縁で新発田駅前に内科クリニックを開業いたしました。インターネットが普及し、個人がスマートフォンを操り、事前にGoogleで検索して勉強されている患者さんも受診されます。常に知識をアップデートしながら、専門医の名前に恥じない医療を提供しようと思います(でも最近は押され気味??)。その一方で、超高齢化社会へ突入しました。限りある医療資源をどう振り分けたらよいか、長寿ももちろん大事ですが、寝たきりではなく健やかに長生きする社会、そのために開業医は何ができるのか、これまで病院で学んだことを地域医療に還元し、また、開業医の立場から地域医療で得た知識、情報を病院へ提供する、つなぎのような役割を担いたい、というのが私の抱負です。

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